手帳の代わりに…

こんにちは 仲のです。

前回のブログで、知的生産や知的生活についての本を読むのにハマっていることをお話ししました。

今回は、その中に登場した手帳の話です…と言いたいところですが、実は知的生産や知的生活に関連する本の中で手帳に関する話はそんなにありません。

私が読んだ中では、外山滋比古さんの『思考の整理学』で少し登場しました。しかし、この場合も手帳としての使い方ではなく、持ち運びのしやすいノートとして活用されていました。

なぜ手帳は登場しないのでしょう?気になったので少し調べてみました。

実は現代の手帳に近い形のものが生まれたのは昭和のはじめ頃だったそうです。このころの手帳は『お年玉手帳』と呼ばれ、おもに会社から社員へと配られるものだったそうです。

ここで知的生産や知的生活について著名な本を残された方々の来歴を見てみました。すると、学者の方が多いのです。ですので、お年玉手帳とは縁がなかったのかもしれません。また、本の出版年から考えてみると、まだまだ手帳が広まる前だったのかもしれません。

手帳の代わりに彼らが使っていたものは、カードであったり、ノートだったりしたようです。カードについては長くなりそうなので今回は書くのをやめておきます。ノートについては、手帳の様に活躍したノートの記述がありました。

私は毎月の終りに、一か月間にどれだけ仕事をしたか、外にやりようがあったのではないかと検討の時間をつくっている。一時間か二時間でよいのだが、買い入れた本、読んだ本や雑誌の量、書いた原稿の枚数など手控えのノートを見ながら反省してみる。

『続 考える技術書く技術』 板坂元

まさに手帳のようにノートを使っています!そのノートの中身についてもっと教えてほしい!と思いましたが、手控えのノートについての記述はこれだけでした。そしてノートを使って毎月の振り返りをする姿は、現代の私たちと変わりないように思えます。

最後に、手帳がなかったり、縁が薄かったりした時代のやり方にこうして触れられるのは素晴らしいことだと感じます。時代が進んで、手帳が一般的になってきたときに著者の方々がどんなふうに手帳を使ったのだろうか?とか、はたまた使わなかったのだろうか?と考えるのもまた楽しいです。

少なくとも2000年代までご存命だった方もいらっしゃるので手帳を使っていたのか、どんなふうに使っていたのか記録に残っていたらいいのにと思います。余裕が出来たら調べてみたいです。

今回もここまで読んでくださりありがとうございました。ではまた~

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