こんにちは 仲のです
よく手帳術やノート術で「書くことが目的になってはいけない」と言われることがあると思います。書くことは手段であり、本当にしたいことをするための時間を確保するために書くのだ、みたいな感じです。
そういわれると書くことを制限しないといけないような気がしますが、書くことが目的、とは具体的にどういうことだろう?とも思うのです。
書くことが目的…たくさん書きたいあまりに自分に必要のないことまで書いてしまうということでしょうか?そうなると次は自分に必要のないことを書くとはどういうことでしょうか?少なくとも書いている私はそのことが必要だと思うからこそ書いているわけです。
何をもって自分には必要がないといえるのでしょうか?
例えば、書き写す必要が出てきたときに素直に書き写す事ができるか?
一つの基準としてはアリそうです。ただ、書き写す必要が出てこなかったものについては答えが出ません。
次に未来の自分が読んだときにその記録が役に立つか?
なかなかいい線を言っているような気もします。しかし、何が役に立つかなんてその時にならないとわからないと思います。
最後に、書くことに使える時間が今の半分になってしまったとしたら、書かなくてもいいかな、と思えること
確かに、この視点から考えるといくらか書くことを省くことが出来そうです。
ですがここまで考えて思いました。ひとつのことを書き込むときにいちいち上記で考えたことを意識しながら書くのか?と。
私ならそんなことはしません。むしろ書くべきか書かないでいるべきか考えている時間も惜しく感じるでしょう。
書くことは確かに手段であるはずだけれど、少なくともその時に必要だと感じたことはどんどん書いてしまってもいいのではないでしょうか。そして、必要か不必要かはゆっくり考える時間を確保できたときに考える、それでいい気がします。その時に上記のことを意識して振り返ることを繰り返していけば、だんだんと自分に必要な情報がわかってくるのだと思います。
限られた時間の中で、どれだけの時間を書くことに割いて、何を書いていくのか、それを探求していくことがノート術の楽しみかもしれない。そんなことを思ったひと時でした。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
ではまた~
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